寺院紹介

現 状


 方外院は、禅宗の1つ・曹洞宗のお寺です。山梨県の峡南地方、身延町瀬戸の地に位置し、周りを山々に囲まれた中にあります。ご本尊は如意輪観音様です。境内には、本堂の他に、庫裡(くり。住職が居住するところ)、鐘楼堂、山門、総門などがあり、また戦死者を祀った忠魂堂もあります。

 また、当院は、甲斐百八霊場の第98番札所、甲斐三十三観音霊場の第27番札所となっております。


歴 史


創 始

 貞治元年(1362年)、南明寺(山梨県富士川町)の三世・梅林禅芳和尚によって開創されました。当初は今の地ではなく、本栖湖の湖畔にありました。山号を「龍湖山」というのは、本栖湖に由来するものです。


武田信玄公の伝承

 戦国時代、甲斐の虎と恐れられていた武田信玄公は、三河国に向けて出陣のおり本栖湖畔を通ると、雷雲風雨が激しくなり軍を一歩も進めることができなくなってしまいました。その時、彼方に淡い火影を見つけ行ってみると、そこには微笑みをたたえた如意輪観音菩薩が安置されていました。

 信玄公がその観音様に祈願したところ、たちまち雷雨は去り、軍は無事に三河へ向かうことができました。信玄公はこの仏恩に感謝し、家臣である本栖の地頭・渡辺囚獄に命じて観音様を厚く保護させました。

 やがて信玄公も世を去り、西暦1582年には武田家は織田徳川連合軍に攻められて滅亡してしまいます。その混乱の中で、観音様も所在を転々としたようです。

 この事態を憂慮した渡辺囚獄は、村々へ布告を出し、先着の村に観音様を移すと申し渡しました。まず中の倉村民が到着しましたが、観音様は示現(仏が霊験を示すこと)しませんでした。次いで瀬戸村民が到着したところ、観音様が示現しました。

 こうして慶長2年(1597年)5月18日、観音様は現在の瀬戸の地に移されたのです。


江戸時代

 江戸時代になりますと、世も落ち着き、観音様は瀬戸に安住の地を得られました。また、全国的に観音信仰や巡礼が盛んになるに伴って、当山も観音霊場の1つとして人々の信仰を集めていたようです。

 また、江戸時代末期には、多くの人々の発願によって千匹絵馬の大額の作成が始められ、明治の始めに奉納されました。


年 間 行 事


3月18日 観音大祭 年に一度、ご本尊様をご開帳して、祈祷法要などを執り行います。
8月10日 大施餓鬼会 檀家様に集まっていただき、ご先祖様のご供養などを行います。
12月31日 除夜の鐘 夜12時に除夜の鐘をつき、本堂で新年のご祈祷を行います。